朗読者

で、気分とリズムを変えるために午前中読書をした。ベルンハルト・シュリンクの朗読者を読んだ。ストーリーはとても悲しいものですがとても面白い。後半、涙腺のゆるい自分は何度も胸につかえ涙を流しました。

(以下ネタばれがあるので本を読まれる予定の方は読まないでください。推理小説ではないから内容を知っていても読む価値はあるにせよ、随時織り込まれている伏線を感じながら読み進めて、真相を知っていく楽しみもあるから。あっ、でも以下を読んでしまってもこの本は一読の価値があるのでぜひ(本を)読みましょう。)

この本は歴史的な重犯罪を舞台として人間の尊厳を問う物語である。3部構成を取る本書は、1部では高校生くらいの幼い主人公と大分年上の恋人とのぬるま湯のような生活が永遠と続くのだが、甘い生活の中に、始終女性の威圧的で何かに異常に怯えた空気が支配しているのに気がつく。あるとき女性は理由もなく主人公の前から突然いなくなる。主人公はその失踪の原因を自らに求めたり、忘れようと努めながらも常に女性のことを思い出してしまう。やがて主人公も大学に進学し、それを忘れるかのように法学の勉強に打ち込む。ところがその一環として主人公が訪れた裁判で偶然彼女と再会する。この本の真髄はここから始まるといってよい。女性は元ナチス強制収容所で働く親衛隊であり、その罪が問われる裁判であったのだ。この事実を知らされ、前半での女性の態度や生き方に感じる違和感が解けるような気がする。今まで色々な書物や映画などを通じていわゆるユダヤ人の被害者からの観点で描かれた作品には出会っていたが、そういえばドイツ人の立場を中心に添えた話は読んだことも聞いたこともなかった。本では女性を通じてナチスの犯罪、またそこで常人ではない役割を果たしてきた人間たち、そうしてそれを裁こうとする次世代の葛藤が描かれる。ところがこの本はそれを中心テーマとしているわけではない。女性はあることを隠している。それが女性の裁判での立場を決定的に追い込み、主人公もそれに気がつく。それは一見他人には取るに足らないささいな --- 特にナチの犯罪という大きな舞台でのことであるからなおのことそう感じるのだが --- ことであり、ところが本人には自分の人生に重大な影響を及ぼし続ける重要な秘密ごとなのである。隠すことは人間の尊厳の問題である。多かれ少なかれ誰にでもそういうものはあるのではないだろうか。ナチの犯罪という大きな流れは決して一個人の犯罪や人生ではなく、この女性のように各々の人生でしょっている業のようなものに支配されている。決してナチの犯罪が許されるわけではないし、当時それに加担して人間とは思えない所業をしてしまった人々の罪は重いことに相違はない。しかしその多くは、時代の流れや環境に流されてしまう人間の弱さの反映であり、ある意味で大きな時代の犠牲者ともいえる。この女性がそうであるように、大きな舞台においてもなおその人生の個性は、そこにある人間のプライドや尊厳が支配しており、その中で人は喜びや悲しみ、決心や戸惑い、贖罪を始終繰り返しながら生きていくのである。

本のタイトルは「朗読者」である。この女性の人生に巻き込まれた主人公は戸惑いながらも、自らのなすべきこと、女性との距離を模索し続け葛藤するのだが、最終的に「朗読」という行為に収束を果たす。これが重い人生において一筋の光となり、そこに生きる中での暖かさが胸にしみ出し、悲しみの中にも生じる幸福が救いである。

さて、我々若い世代がこれを日本に当てはめるとどうなるのだろう。
憎しみや罪の掘り返しなどではない、風化させてはならない記憶や人生があるのだと思う。